三重塔は、永保3年(1083)、真如法親王の供養のために創建されたと伝えられています。
現在の塔は室町時代に再建されたもので、装飾などに室町時代の特色が示されています。
塔内には開祖である真如法親王の坐像が安置されています。
四季の景色にとけ込む姿は、日本文学界を代表する三島由紀夫の代表作「金閣寺」にも登場し、優雅な三重塔と賞されています。
大正6年(1917)4月、重要文化財に指定。
鹿原山慈恩寺・金剛院は、天長6年(829)、真如法親王によって創建されたと伝えられています。その後、荒廃した寺は、白河天皇により復興、三重塔も建立されました。
境内には約3000本のもみじの木があり、紅葉の名所「丹後のもみじ寺」として親しまれています。江戸時代に築造された鶴亀の庭や本堂が、千年榧(せんねんがや)の巨樹や銀杏の古木のある景観と溶けあい、歴史ある環境を保持しています。
三重塔は、永保3年(1083)、真如法親王の供養のために創建されたと伝えられています。
現在の塔は室町時代に再建されたもので、装飾などに室町時代の特色が示されています。
塔内には開祖である真如法親王の坐像が安置されています。
四季の景色にとけ込む姿は、日本文学界を代表する三島由紀夫の代表作「金閣寺」にも登場し、優雅な三重塔と賞されています。
大正6年(1917)4月、重要文化財に指定。
深沙大将は、西遊記に登場する沙悟浄(さごじょう)のモデルとしても知られる仏教の守護神です。
左足の内側に「巧匠(アン)阿弥陀仏」の墨書銘があり、鎌倉時代の仏師・快慶の初期作品であると伝わっています。
快慶自らが墨書した仏像は全国に20体ほど。その内、舞鶴市には3体の仏像があり、2体が金剛院に、1体が松尾寺に安置されている。
明治43年(1910)4月、重要文化財に指定。
執金剛神は、仏法を守護する善い神とされています。甲冑を着て金剛杵(こんごうしょ)を持つ武装した姿で、如来を守護する役割を担っています。
深沙大将立像と同様に鎌倉時代の仏師・快慶の作品であると伝わり、深沙大将像と一対のものと考えられています。
この像は、奈良市東大寺にある執金剛神と似ている点が多くあり、快慶が模したのではないかといわれています。
明治43年(1910)4月、重要文化財に指定。
【電車】JR小浜線「松尾寺」駅より徒歩20分
【バス】JR舞鶴線「東舞鶴」駅から京都交通バス(高浜方面行き)で「鹿原」下車、徒歩 10分
【自動車】舞鶴若狭自動車道「舞鶴東」ICから 10分